ホ短調という調性は、ベートーヴェン等の独墺系先進国の交響曲には少ないが、チャイコフスキーの〈5番〉と、ドヴォルザークの〈新世界〉という先例があるので、スラヴ系交響曲の王道を選んだことになる。共に、循環主題で全4楽章を統一するというシンフォニックな構造にこだわったこの2曲が、〈運命〉のリズム主題と、〈幻想〉のイデー・フィクスを両親とする第一世代とすれば、この〈2番〉は第二世代。〈1番〉で辛酸を舐めたラフマニノフが、交響曲作家としての真価を問うべく、論理的構築性を徹底的に追究して仕上げた骨太の大作なのだが、ある時期からカットだらけの短縮版の演奏が当たり前みたいな状況が続いたせいもあって、映画音楽的なロマンティシズムのほうが全面に押し出されることになった。
筆者が初めて実演に接したのは、1985年5月10日、R.フライシャー=新日フィルの定期だったのだが、演奏は素晴らしかったもののカットに唖然としたことを思い出す。バジャーノフ著「ラフマニノフ」(林久枝訳)に、08年1月26日(旧暦2月8日)のペテルブルグに於ける作曲者指揮による初演について「全4楽章をかたずを飲んで聞き終えたある人は、時計の針が55分も移動したことに気付いて驚いた」とあるので、初演時は「ノーカットで、第1楽章の提示部は反復抜き」と見なせるが、後にラフマニノフはカットを承認したとされる。完全版全曲録音(73年ロンドン響)の嚆矢とされるプレヴィンも、当初は短縮版で演奏していたのを、ソヴィエト楽旅でムラヴィンスキーにノーカット版の存在を知らされてから切り替えたそうだから、正しい姿が演奏という形で一般に認められるようになったという状況に関しては、時代的にブルックナーと双璧かも知れない。
第1楽章─ホ短調 序奏部4/4 主部2/2 ソナタ形式
序奏部の冒頭 (22) は、教会で男声が低音のユニゾンで歌うロシア正教の聖歌を思わせる○22aで始まる。全音階(臨時記号を含まない、ピアノの白鍵のみの音階)、順次進行(音程の離れた音への跳躍を避け、隣接した音を縫うように進む)というラフマニノフの特徴が表れた (22a) の、Xの部分が、交響曲全体のモットー。このXを、コラール風に拡大した (22b)、嘆くように下降する (22c) と、立て続けに含めるあたりに、循環主題的なこだわりが鮮明に示される。
ラフマニノフは、最後の審判の恐怖を歌ったグレゴリオ聖歌の〈ディエス・イレ〉(23) に、生涯に亙ってこだわり、あたかも自らにサインであるかのごとく、主要主題として使い続けるが、このXもその一つだ。また (22a) (22c) のXには〈運命〉のリズムが含まれている( (29b) 以下に詳述)。
同様に〈運命〉のリズムを含む (24) の先導で始まるアレグロ主部の第1主題 (25) にもXが含まれているが、そこに「poco rit.(少し遅く) 」「a tempo(元の速さで)」という細かなテンポ変化が指定されているあたりが、ラフマニノフ的なロマンティシズムで、こうした緩急の匙加減が、演奏における味の濃淡となる。
(25) は、ロマン派で盛んになる主役級の経過主題の典型。この曲の場合、こうした望郷を思わせる息の長い歌謡主題が、各楽章に散りばめられており、あたかも地下を流れている水脈が要所で地上に泉として湧き出るような効果をもたらすので、ここでは「ロマンスⅠ」としておく。
モデラートに弛む第2主題部 (27) は、クラリネットによるブリッジを経てヴァイオリンとチェロがXに始まるト長調の歌謡主題を奏する。この主題は、よりノスタルジックな (28a)→(28b)と発展し「ロマンスⅡ」となる。