サン=サーンス (1835~1921) 交響曲第3番 《オルガン付き》

 

「アルス・ガリカ」

ドイツ・オーストリアでは19世紀に入って交響曲の傑作が次々と誕生しているが、これはフランスにとっては非常に深刻な事態であった。それまで、ヨーロッパにおける音楽の先進国はイタリアとフランスであり、ドイツはその後ろに続く存在だったのだが、19世紀に入ってドイツにその立場を逆転されてしまう。ベルリオーズの《幻想交響曲》も誕生しているが、交響曲の分野における劣勢はフランス人も自覚していた。だがフランス人は奮起するでも無く早々にあきらめ、器楽はドイツ人には叶わない・交響曲はドイツ人に任せようという風潮が当時のフランスにはあったという。(とはいえドイツ・オーストリアにおいても、交響曲の傑作がなかなか生まれずに交響曲の時代は終わったと言われた時期もあったのだが、この話はまた別の機会にでも。)これは政治的にはフランスがドイツに比べて大国であるという事実があって、フランス人も許容出来たのかもしれない。しかし19世紀も後半に入った時期になると、それまで小国に分裂していたドイツがプロイセン王国を中心にまとまりを見せ始め、政治的にもフランスの地位を脅かすようになる。そしてプロイセンはフランスに戦争を仕掛けフランスは敗北、パリに入場したドイツ軍は、こともあろうにヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立を宣言。フランスはかってない屈辱をドイツに味わされることになる。これが1871年のこと。この普仏戦争の敗北がきっかけとなってフランスではあらゆる分野でドイツに対抗しようという感情が生まれ、音楽の分野でもドイツに対する強い対抗意識が芽生えるようになる。その顕著なものが、ドイツ軍のパリ入場の直前に結成された国民音楽協会だった。

国民音楽協会は、ガリア(フランスの雅称)の芸術という意味の言葉「アルス・ガリカ」をモットーとした、まさにフランス音楽の興隆を目指して結成された団体で、フランス人作曲家の新作を演奏するコンサートを数多く開催し、フランス人による音楽作品を増やす。これによりフランス音楽を活発にし、そしてドイツ音楽に対抗しようという目論見だった。サン=サーンスは1872年から1886年までの長きに渡りこの国民音楽協会の会長を務めることになるのだが、《オルガン付き》もこの時期に作曲された作品である。《オルガン付き》はイギリスからの依嘱作品だが、サン=サーンスがこの曲を作曲した背景にこの時代のフランスで巻き起こったナショナリズムがあることは指摘しておきたい。上述のオルガンがあるコンサート・ホールの建築とも併せて、ナショナリズムの姿がそこかしこに登場する時代だった。

「フランス的」な交響曲として

当然、その交響曲は「ドイツ的」なものではなく「フランス的」なものではなくてはならない。なにが「ドイツ的」でなにが「フランス的」な音楽なのかということは論理的に明確な回答が出る類いのものではないのだが、おおまかにいってこの時代では軽やかさ・上品さといったものが「フランス的」な音楽とされた。(ワーグナーのような重厚な音楽は「ドイツ的」、というわけである。)サン=サーンスは古典的な明晰さを好んだ人であり、その音楽は重厚さとはほど遠い。また、パイプオルガンを交響曲において主人公として使用するというアイデアは、ベートーヴェンの交響曲の編成とその音楽を手本としたドイツ系の作曲家からは決して生まれ得ないものだった。(ブラームスが交響曲第4番の第3楽章でトライアングルを使用したことさえ、大冒険だったのだから。当然、マーラーの交響曲など、交響曲の伝統からの逸脱も甚だしい規格外の存在だった。)2楽章の前半部はスケルツォ楽章に相当する部分であるが、ここでサン=サーンスは大きな音量ではないが、しかしかなり大胆に打楽器を使い多種多様な華やかな彩りを音楽に与えていて、楽器の使用法においても「ドイツ的」な交響曲とは大きく異なっている。この《オルガン付き》はフランクの《交響曲》とならび19世紀後半のフランスにおける代表的な交響曲とされ、後に続くフランスの交響曲の手本となった。

2楽章形式であるが、それぞれの楽章が前半・後半で明確に形式が分かれる為、実質的に4楽章形式の交響曲だと見做すことも出来る。オルガンは1楽章と2楽章のそれぞれ後半部に登場し、1楽章では安らぎと平安を感じさせる静かで荘厳な響きを、2楽章では輝きに満ちた華やかな響きを聞かせる。上述の通りこの曲は教会ではなくコンサート・ホールで演奏されることを念頭においており、宗教的な色合いといったものは薄い。にも関わらずオルガンは破壊や苦悩と言った否定すべきものではなく肯定的なものの象徴として使用されており、「オルガン→教会→神」といったイメージはほぼそのまま踏襲されていると言って良い。やはりヨーロッパ人にとってオルガンから宗教的なイメージを拭い去ることは極めて難しいことなのかもしれない。(ちなみにロシア正教では教会での楽器の使用は禁止されている。当然オルガンも然り。なのでロシアではオルガン音楽はあまり発展をみていない。)

ちなみに、通常ではまったくオーケストラと関わりのない楽器を交響曲において主役として扱い大成功を収めた20世紀のフランスの交響曲に、オンド・マルトノという電子楽器を使ったメシアンの《トゥーランガリラ交響曲》がある。メシアンもサン=サーンスと同じくオルガンの名手だったという共通点もあるし、《オルガン付き》と《トゥーランガリラ交響曲》、どちらも「ドイツ的」な交響曲の系譜からは決して生まれ得ない交響曲である。そう考えると、「フランス的」な交響曲という分野においてサン=サーンスの跡を継いだのは実はメシアンだったと言えるのかもしれない。

(中田麗奈)

  • 1
  • 2

タグ: サン=サーンス