レブエルタス (1899~1940) 《センセマヤ》

 

《春の祭典》と同じような装いを見せながらも、リズムの変化ではなく単純なリズムの反復で音楽が構成されており、内実はかなり《春の祭典》とは異なっている。同じ形のリズムが執拗に続く音楽には、この時代にはラヴェルの《ボレロ》(1928)が作曲されているが、むしろここではロシア・アヴァンギャルドの作曲家モソロフの《鉄工場》(1926)との類似を指摘しておきたい。モチーフとなるものこそ、蛇殺しといった呪術的なものとハンマーが振り下ろされる工場の様子といった近代的なものとで全く異なるのだが、音楽としては奇妙に似通ったものとなっている。《鉄工場》で執拗に繰り返されるハンマーのリズムを呪術の儀式の言葉に置き換えると、《鉄工場》と《センセマヤ》は驚くほど近くなる。《鉄工場》はこの当時は世界中で盛んに演奏され、コンサートマスター・指揮者として演奏活動の最前線にいたレブエルタスは《鉄工場》に接した可能性は高い。しかしこれは筆者の類推であり両者を結びつける証跡はない。今後の研究の進展を待ちたいところである。

ちなみに、この曲の最も根源的なイメージの中心となる「蛇殺し」の儀式とは実際はどのようなものなのか、そしてレブエルタスが実際にそれを見たことがあるかどうかは調べることが出来なかった。ここも今後チェックしていきたいところであるが、民謡を使用する作曲家には大まかにいって二つのタイプがあって、例えば実際に自分の耳で聞いた民謡を使用するバルトークのようなタイプと、自分では実際には耳にしておらず他人が採取した民謡が掲載された楽譜から民謡を使用するストラヴィンスキーのようなタイプ。民俗的なものに愛着を寄せるのか、単なる要素と見做すのか。どちらが良い悪いという話ではないが、これでその人の芸術観はある程度分かってくる。さて、レブエルタスは一体どちらのタイプに属するのだろうか。

レブエルタスとメキシコ的な音楽

《センセマヤ》は非常におどろおどろしく感じる音楽であるが、実はレブエルタスの作風は多種多様で、むしろ都会的なセンスや、からっとした独特のユーモアを感じさせるものも少なくない。《センセマヤ》とならび近年よく演奏される《マヤ族の夜》(1939)はまたおどろおどろしさを感じさせる作品であるが、《フェデリコ・ガルシア・ロルカ讃》(1939)は、スペイン内戦の際に殺された詩人ガルシア・ロルカの追悼に作曲されたにも拘らず、非常に明るい、ユーモアを感じさせる作品となっている。このことはレブエルタスが演奏者としても作曲家としても多種多様なスタイルを身につけていたことの証でもあろう。

また、レブエルタスが目指した「メキシコらしさ」も一筋縄ではいかない。《センセマヤ》にはキューバの要素が入り込んでいる。元々のモチーフとなったギジェンの「センセマヤ」自体がキューバの街で聞いた歌をもとにしたもので、レブエルタスも《センセマヤ》で使用している打楽器はキューバのものも多い。

このことは、チャペスがスペイン人がメキシコに到来する前の音楽を再発見しようとし、その成果を《インディオ交響曲》(1935)で織り込んだこととは対照的である。チャペスは「純粋にメキシコ的」なものに拘り、そのルーツを古代アステカ王国にまで求めた。しかし、古代の音楽を正確に再現することは、どの地域のどの時代のものであっても殆ど不可能に近い。チャペスの試みも、実は学問的にはかなり危ういものであった。レブエルタスはそういった歴史的なものに拘らず、そして学問的に危うい橋を渡ることもなく、現代の、現実のメキシコを見つめた。現実のメキシコに多種多様な要素が入り込んでいるように、レブエルタスの音楽も多種多様な要素で構成されたものとなっている。しかも、そういった要素がレブエルタスの強烈な個性によって一つの作品としてまとめられている。そして、当時の人々はそこに「メキシコ的」なものを感じたのだった。

とあるスペイン人はレブエルタスの音楽をこう評した。「彼の音楽は非常にメキシコ的だが、少しもローカルではない。民俗的だが、編曲したものではない」と。まさに芸術家の強烈な才能が、一つの文化を形成しようとしたのである。しかし、レブエルタスは1940年に死去。作曲家として本格的な活動をした期間はわずか10年ほどの短い期間となった。メキシコ音楽に取ってチャペスの存在の大きさ・偉大さは変わらないとしても、レブエルタスがもう少し長生きしていたら、「メキシコの音楽」は今とは少し違ったものになっていたかもしれない。

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