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オストロフスキーとレスコフ、そしてショスタコーヴィチ  ~ショスタコーヴィチを巡る冒険~

そして、もう一つ。ショスタコーヴィチの《マクベス夫人》だけを見ると主人公の過激な行動が目につき、ショスタコーヴィチがこの作品で何を描きたかったのかが見えにくくなる。前述した通り、ショスタコーヴィチの意図はレスコフの原作を通してオストロフスキーにまで遡ると見えてくるのであるが、実はショスタコーヴィチはこの《マクベス夫人》を四部作の第一作として考えていて、その四部作の構想を辿ることでショスタコーヴィチの意図もまた、見えてくるものがあるのだ。ショスタコーヴィチは、《マクベス夫人》をロシア女性を描くオペラ四部作の第一作として構想していた。オペラ《マクベス夫人》の初演直後の1934年2月、ショスタコーヴィチは次のように語っている。「私はソビエトの《ニーベルングの指輪》を書きたいと思っている。女性についてのオペラ四部作であって、その一つ《マクベス夫人》は《ラインの黄金》にあたるものである。これに続くオペラの女主人公は、人民の意思派運動の女性となるだろう。それから、今世紀の女性。そして最後に、わがソビエト時代の女性、ラリーサ・レイスネルからドニェプル建設場の最もすぐれたコンクリート女工ジェーニャ・ロマニコまでの、今日と明日の女性を集約的に示すような女主人公を描くだろう。」これらの続編は結局作曲されることは無く、ショスタコーヴィチのその後の作品にはこれらの作品の痕跡すらも見られないと思われていたのだが、最近になって、ショスタコーヴィチがこの四部作の二つ目を途中まで作曲していたということが判明したのである。残されたスケッチはオペラの冒頭で、長いオーケストラによる序奏の後にエレーナという女性がソプラノで歌い始めるというもの。この主人公が属する「人民の意思派」とは何か。それはテロ組織で、帝政ロシアにおいて皇帝アレクサンドル2世の暗殺に成功している集団であった。爆弾と暗殺。これはロシアはもとより、ロシアの外においても反政府活動を掲げる集団に対して大きな影響を与えることとなったのだが、その一人が、主人公であった。

 

ショスタコーヴィチは《マクベス夫人》の続編を具体的に構想していた。あくまで四部作で一つの完結した物語になるよう考えていたのである。そのため、《マクベス夫人》だけでショスタコーヴィチの真意をすべて推し量ることは難しい。それは、《指輪》において《ラインの黄金》一作だけでワーグナーの意図を語ろうというようなものである。ただ、ショスタコーヴィチの先の言葉から推測すると、主人公は恐らく四作とも強い意志を持った女性なのではないだろうか。その女性は、強い意思でもって周囲と懸命に戦う。しかし《マクベス夫人》では、主人公は犯罪者になり、その強い意思の力による行動は誰も幸せにはしない。第2作目では少し事情が変わってくる。テロリスト、だ。犯罪者であり、最後には処罰される運命にあるが、しかしその後の時代を切り開く先駆者ともなる。そして第三作目の主人公は分からないのだが、ロシア革命前夜の中で生きる女性なのではないか。そして、完結編。ラリーサ・レイスネルはロシア革命初期に活躍した政治局員で、英雄的な活躍をするが、若くして死ぬ。革命ロシアは工業化と電化を急いだ。ドニエプル川に大規模な水力発電所を建設し、1932年に完成している。その建設に従事した女性。自らの強い意思で行動し、自分も周囲も幸せにする。女性は変わらない。変わったのは何か? そう、時代の方が変わったのだ。女性が自分の意志で行動して、幸せに生きることが出来る時代となったのだ。革命ロシア万歳!しかし、2作目もそれ以降の作品も完成させられることはなかった。1934年12月1日、共産党の高官であったセルゲイ・キーロフが暗殺される。これを契機にスターリンの大粛清が始まるのだが、この時代にテロリストを主人公としたオペラを作るのは危険きわまりないことであった。そして、《マクベス夫人》はショスタコーヴィチの意図に反して攻撃を受ける。この時、ショスタコーヴィチは悟ったであろう。オペラは当時の政治的文脈によっていかようにも解釈が可能であり、個人攻撃の理由になり得るということを。これ以来、ショスタコーヴィチの創作は言葉を持たずに真意がはっきりしない器楽だけの作品である交響曲へと移っていく。 ショスタコーヴィチがオペラ四部作で描きたかったもの、これは永久に謎のままであるが、ショスタコーヴィチの果たされ無かった構想はショスタコーヴィチにとっては新たなる作品の源になっていく。(東京都交響楽団2012年3月公演ショスタコーヴィチ交響曲第4番の際のプログラムの中田朱美氏の指摘による。)四部作オペラの二作目の冒頭、オーケストラの序奏の中でワルツが書かれているのだが、このお蔵入りとなったワルツは交響曲第4番の3楽章に転用される。(1936年に予定されていた交響曲第4番の初演は撤回され、初演は1961年となった。完成から四半世紀もの長き間に渡って、この交響曲第4番もお蔵入りとなったのだが。)また、この時点でお蔵入りとなった《ボルト》はオペラ《オランゴ》に転用される。(この《オランゴ》は委託による作品で、ショスタコーヴィチのピアノ・スケッチが残されている。しかし企画が立ち消えになり、この《オランゴ》もまたお蔵入りになった。)ショスタコーヴィチの作品にはまだまだ謎が隠されているし、どこかに眠っているかもしれないショスタコーヴィチの作品(未完も含めて)も、まだまだありそうだ。私たちのショスタコーヴィチを巡る冒険は、まだしばらく終わりそうにない。

(中田麗奈)

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