第66回演奏会 - 2022年1月16日(日) 13:30開演 会場:習志野文化ホール・指揮:金子 建志・演目:ドヴォルザーク/謝肉祭、ヒンデミット/画家マティス、ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」

ショスタコーヴィチ (1906~1975) バレエ組曲 《ボルト》 の楽曲解説

russia 2000 stamp 120x85別稿を先にお読み頂きたいが、バレエには台本が拙劣な作品は非常に多い。1931年4月8日にレニングラードで初演されたこの〈ボルト〉も、そうした典型。「バレエ音楽百科」小倉重夫著(音楽之友社)の紹介が簡潔で解り易いので引用させて頂く。

筋は革命後ソヴィエトで起きた諸問題を扱っている。呑んべえで怠けもののレーニカ・グーリパはその呑み仲間たちとともに工場を解雇される。第1次5ヵ年計画遂行中のソヴィエトでは怠惰は許されなかったのである。革命後、労働者はのん気に暮らせると思っていたグーリパは復讐を思いたち、青年ゴーシャをそそのかして機械にボルトをねじこみ、こわさせる。しかし労働者のモラルを自覚するゴーシャはその企てに気付き、管理者に密告するのでグーリパは逮捕される。

ショスタコーヴィチに特化した「オーケストラ・ダズビダーニャ」の主催者、白川悟志さんは、以下のように述べられている。

「10年前にボリショイで全幕の復活上演があったっきり、公演されませんね。生で観てみたいのに。もっとも、ショスタコーヴィチ自身も、『機械が壊されて、直されて、その機械の周りでみんなが踊る。たったそれだけの話で、全3幕も?』と、台本の無内容さに呆れていたらしいですね。」

ラトマンスキーの新演出で06年9月に行なわれたボリショイでの復活上演はBSで放映されDVD化もされているが、登場人物の名前まで変えてしまった完全な翻案。国家統制下にあったソヴィエト初期の政治的な楽天性を今更再現しても、何の面白みも無いから、事情も、よく分かる。「隠し砦の三悪人」と「スター・ウォーズ」ぐらい違いがあるので、ここでは、スコアにどのような音楽が書かれているか、という視点から、主観的にコメントすることにした。

Ⅰ 序曲

〈ボルト〉を交響曲のようなシリアスな音楽として聴くなら、この序曲が唯一、そのまま内容どおり受け止めていい曲となる。チャイコフスキーの交響曲〈4番〉①の引用が革命の勃発を告げ、引き鉄となった幾つかの悲劇的虐殺を暗示する絶叫②に楔を打ちこむように、断罪的なトゥッティの衝撃が繰り返される。

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戦時のニュース画面をモンダージュ的につなぎ合わせたような激しい描写が一段落すると、アレグロに入り弦の③がフガートで重層的な主部を形成。叙事詩的な描写は一旦、破壊的な頂点をむかえた後、ティンパニの4度音程連打が、革命の勝利を誇示する。我々は、後に書かれることになる交響曲〈5番〉のコーダを知っているだけに、その象徴性は歴然。ただし〈5番〉が革命の勝利で結ばれるのに対し、この序曲は③が再現され、謎かけ気味に結ばれる。

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オペラで言うなら、前史に該る『史実としての革命』をドキュメント映画のように描き切った音楽であり、若きショスタコーヴィチの凄腕ぶりに驚かされる。

Ⅱ 官僚の踊り(ポルカ)

ここからは、革命後のソヴィエト。計画経済の柱となる工場で働く労働者は、コミカルな木管④(ハ長調とハ短調を同時進行させた後、ファゴットが最も遠い嬰ヘ長調で絡む)で、それを監視する威嚇的な官僚はトロンボーンのグッリッサンド⑤で、漫才的な応酬として描かれる。キリスト教音楽で神託を告げるシンボリックな楽器として使われてきたトロンボーンを、宗教を認めない国家内で、官僚として使うあたり、冗談にしても辛辣。中間部での悲劇的な高揚を、大袈裟に締め括った後、再びパンマイムに戻って結ばれる。

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Ⅲ 荷馬車引きの踊り

これもトロンボーンが鞭打つようなグッリッサンドで牽引し、嘆くような主題⑥が変奏的に繰り返される。〈展覧会の絵〉の《牛車=ビドロ》に近い、過酷な肉体労働者の描写だ。

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Ⅳ コゼルコフの踊りと彼の友人達(タンゴ)

前半は、大道芸的に日銭を稼ぐフィドラー(ヴァイオリン弾き)の、典型的な“嘆き節”。タンゴ風な楽想等を経て、トランペットが⑧で、主役の座を奪う。木管による軽妙なからかいを経てテンポアップし序破急的に盛り上がった後、ロシアの民族舞曲的な土臭さも交えながら、再びタンゴ風な熱狂の中に結ばれる。

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