第72回演奏会 - 2025年1月4日(土) 13:30開演 会場:ティアラこうとう 大ホール・指揮:金子 建志
演目:ドヴォルザーク/スケルツォ・カプリチオーソ、コダーイ/「孔雀は飛んだ」による変奏曲、ブラームス/交響曲第2番
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オストロフスキーとレスコフ、そしてショスタコーヴィチ  ~ショスタコーヴィチを巡る冒険~

leskov 120x170ショスタコーヴィチにとって《ボルト》は依頼による気の乗らない仕事で書いた作品で、オペラ《ムツェンスク群のマクベス夫人》がこの時期のショスタコーヴィチにとって、一番書きたくて最も力を注いだ作品であることは別稿の通り。ここではこの《マクベス夫人》について、ちょっと述べてみることとしよう。

ショスタコーヴィチは初のオペラとなる《鼻》をゴーゴリの原作で書き上げ、次のオペラの題材を探していた。ショスタコーヴィチが選んだのは、1831年生まれのロシアの作家ニコライ・レスコフの小説『ムツェンスク群のマクベス夫人』であった。レスコフ1866年の作品で、19世紀のロシアでの地方の裕福な商人の家庭を舞台に、そこに嫁いだ女性を主人公とした作品である。この女性が不義密通の末に転落するという物語なのであるが、実はロシア文学には同じように地方の商人の家に嫁いだ女性が不義密通の末に死を選ぶという作品がある。オストロフスキーによる戯曲『雷雨』である。アレクサンデル・オストロフスキーは1823年生まれで、ロシアでは非常に有名な劇作家で、1859年に書かれた『雷雨』はそのオストロフスキーの最も有名な戯曲である。『雷雨』と『マクベス夫人』、両方とも主人公の名前はカテリーナ(カーチャ)である。

しかし、舞台設定が同じようなものとはいえ、『雷雨』と『マクベス夫人』のカテリーナは全く別のキャラクターを持った女性である。『雷雨』のカテリーナは姑にいびられ続け、嫁ぎ先からの解放を夢見る。夫が商用で旅をして家を離れる間に逢瀬の機会が訪れる。憧れ続けた男性との逢瀬はカテリーナに束の間の幸せを与えるが、帰ってきた夫を前にカテリーナは罪を告白し、死を選ぶ。姑のいびりが劇の序盤で執拗に描かれ、ここで観客はカテリーナのおかれた境遇に同情を寄せることとなる。カテリーナの転落劇は悲劇として描かれることとなる。これに対し、『マクベス夫人』のカテリーナは凄まじい。姑ならぬ舅にいじめられるのは同様であるが、レスコフのカテリーナは舅を殺害。愛人と共謀して夫も殺害。おまけに甥も殺害。犯罪がばれてシベリア流刑となったカテリーナと愛人だが、愛人は流刑先で新しい女を作る。カテリーナはこの女を道連れに川に身を投げ、幕。オストロフスキーのカテリーナが罪の意識におののくのに対し、レスコフのカテリーナにはそのようなそぶりは微塵も無い。そこにあるのは、モラルに反しても自らの意思で状況を変えていこうという凄まじい意思である。レスコフがオストロフスキーをどれくらい意識していたのかは分からないのだが、レスコフはオストロフスキーの書いたカテリーナとは全く逆のカテリーナを書き上げる。ショスタコーヴィチの《ムツェンスク群のマクベス夫人》はショスタコーヴィチが書きたいものを書いた作品だけあって(台本はショスタコーヴィチと劇作家プライスとの共同制作)、音楽もまた非常に強い力を持った作品である。その音楽とレスコフの物語の過激さも相まって、オペラ《マクベス夫人》は見る人に鮮烈な印象を残す作品となった。

《マクベス夫人》の主人公のカテリーナは、先に書いたように凄まじい猛女である。ショスタコーヴィチは、なぜこのような女性をオペラの主人公に選んだのだろうか。ショスタコーヴィチは、この女性を通して何を描きたかったのだろうか。その鍵は、レスコフの原作には無くショスタコーヴィチが独自に付け加えたシーンにある。夫が家を離れる際、オペラ《マクベス夫人》のカテリーナは跪いて留守中の貞節を無理矢理誓わされるのだが、このシーンはレスコフの原作には無い。これは舅のいびりの象徴であり観客にカテリーナへの同情を促す仕掛けの一つなのだが、オストロフスキーの『雷雨』にはこれと同じく、夫が商用で留守をする際にカテリーナが姑に跪かされて貞節を誓わされるというシーンがある。オストロフスキーの『雷雨』とレスコフの『マクベス夫人』の両方を知っているという人間は、日本ではともかくロシアではそう珍しくもないだろう。両方を知っている人間ならば、ここでショスタコーヴィチがオストロフスキーを参考にしたということがすぐに分かるはずだ。この場面でショスタコーヴィチは、カテリーナを同情すべき対象としてレスコフからオストロフスキーに引き戻しているのだ。他にも、レスコフの原作にあった甥殺しを省略。これによりショスタコーヴィチのカテリーナは、レスコフの原作に比べて悪辣さが減っている。ショスタコーヴィチはカテリーナを悲劇の女性をして描こうとした。その悲劇を招くのは彼女自身の愚かさであるが、それを用意したのはカテリーナが嫁いだ家庭であり、革命前の閉鎖的な地方都市の保守的な因習であった。革命前の社会の悲惨さを描くことによって、革命後の社会を賛美する。オペラ《マクベス夫人》は性描写の場面がスターリンの逆鱗に触れたこともあって当時のソ連では公的に批判されるのだが、これはショスタコーヴィチにとってまったく予想外のことであった。ちなみにオストロフスキーの『雷雨』を原作としたオペラがある。ヤナーチェクの《カーチャ・カバノヴァー》だ。(この辺りの詳細は長木誠司氏の大著『オペラの20世紀』平凡社、に詳しい。)ベルクの《ヴォツェック》然り、オペラは20世紀に入って現実の問題に鋭く切り込むようになる。

 

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タグ: ショスタコーヴィチ