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ブルックナー 交響曲第4番〈ロマンティック〉変ホ長調 (第2稿・コーストヴェット版)

bruckner 120px〈4番〉の第1稿はブルックナー50歳の1874年11月22日に完成したが、〈3番〉と同様、初演機会の無いまま78年に大改訂に踏み切る。スケルツォの新稿への入れ替えを含む本格的な改訂は年内に一旦終了したが、Ⅳ楽章も短縮・改訂したため、作業は80年にずれ込んだ。これが「第2稿=1878/80年稿」。81年2月20日、ハンス・リヒター指揮のウィーン・フィルによって初演されたのがこの「第2稿」になる。

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ボロディン 歌劇〈イーゴリ公〉より《ダッタン人の踊り》

borodin 120px歌劇〈イーゴリ公〉は、未完のまま残されたが、第Ⅲ・Ⅳ幕をリムスキー=コルサコフとグラズノフが補筆・完成、1890年にペテルブルグで初演された。

キエフが分裂していた12世紀、南方の草原地帯から進入した遊牧民族ポロヴェッツ人(ダッタン人)との戦いを描いた物語。囚われたイーゴリ公は、脱走して再び祖国のために戦う。この曲を今、キーウの人々は、どう受け止めるのだろうか?

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ドヴォルザーク 序曲〈謝肉祭〉

dvorak 120px序曲3部作《自然と人生と愛》1891~92年作曲。1892年4月28日プラハにて作曲者自身の指揮で初演。

ドヴォルザークの作曲家としての最盛期、渡米直前の1891~92年に作曲された序曲3部作「自然と人生と愛」《自然のなかで》《謝肉祭》《オセロ》の中の1曲。1892年4月28日プラハにて作曲者自身の指揮で初演された。ニューヨークでの生活から産まれた〈新世界より〉、チェロ協奏曲と並ぶ傑作として高く評価されている。

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ベートーヴェン 交響曲 第6番〈田園〉作品68

beethoven 120px1808年12月22日、ベートーヴェンの指揮で〈運命〉と同日、ウィーンで初演。

音楽と全く無縁だった私が、初めて惹かれたのがこの〈田園〉。中学1年の春、音楽の授業で〈グランド・キャニオン〉と続けて「感想を言いなさい」ということだった。たぶん標題音楽の比較だったのだろう。私の心にはベートーヴェンが深く残り、夏休み後に引っ越した習志野2中の吹奏楽クラブで、音楽に深入りすることになった。家の周囲は畑や田んぼに囲まれており、レコードで聴いた〈田園〉を口ずさみながら、夕焼けを眺めていたものである。

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ワーグナー〈トリスタンとイゾルデ〉 第Ⅰ幕・第Ⅲ幕の前奏曲と《愛の死》の楽曲解説

wagner 1861 120pxイングランド本島の北西端コンウォールと、北海を挟んで、その北に位置するアイルランド島を舞台にした伝説から、ワーグナーが自由に創作した。

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マーラー 交響曲第5番 嬰ハ短調

オリジナルの交響曲第5番は?

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指揮者として活躍していたマーラーは、指揮の仕事がオフシーズンとなる夏の間に別荘にこもり、そこで集中的に作曲をするというスタイルをとっていた。交響曲第5番も、そういったスタイルで手がけられている。1901年の夏に作曲を開始し、翌1902年の夏に完成。マーラーが親しい知人に語った内容からすると、1901年夏の段階ではこの時点では4楽章構成で、その第3楽章まで書き進められていた。ではなぜ、楽章が一つ増えたのか。それは、マーラーの人生において最も大きな出会いの結果だった。アルマである。マーラーは1901年11月、アルマ・シントラーという女性と出会い、そこからすぐに恋に落ちる。12月の末には婚約を発表、翌1902年3月にウィーンの教会で結婚式を挙げる。電撃婚だった。1901年の夏と1902年の夏の間に、マーラーの人生に決定的な転機が訪れているのだ。そして、この交響曲の第4楽章。この第4楽章は、マーラーと親しく交友を結んだ指揮者ウィレム・メンゲルベルクによると、この楽章はマーラーがアルマへの愛情を込めて作曲された音楽でプロポーズに相当するものだった、アルマはそれを受け入れてマーラーの元に来たのだ、と。メンゲルベルクはこれをマーラーとアルマの両方から聞いたらしく、そうなると信憑性は高い。

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ムソルグスキー 交響詩〈禿山の一夜〉 原典版

musorgskiy 120pxこの曲の成立史は複雑過ぎるので、ムソルグスキーがリムスキー=コルサコフにあてた手紙に書いたとされる以下の4つの場面を挙げておく。

 1. 魔女たちの集合。そのおしゃべりとうわさ話。
 2. サタンの行列
 3. サタンの邪教賛美
 4. 魔女たちの盛大な夜会

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ヒンデミット 交響曲〈画家マティス〉

hindemth 120pxここでのマティスは、ヒンデミットと同時代の画家、フォーヴィスム(野獣派)のリーダー的存在だったアンリ・マティス(1869~1954年)ではなく、16世紀に活動したドイツの画家マティアス・グリューネヴァルト(マティス・ゴートハルト・ナイトハルト 1470~1528年)。その代表作『イーゼンハイム祭壇画』に深い感銘を受けたヒンデミットが、グリューネヴァルトの生涯をテーマに台本を執筆してオペラ〈画家マティス〉を作曲、それと並行して交響曲も作曲した。

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マーラー 交響曲第5番の楽曲解説

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マーラーはこの〈5番〉でも、楽章をより巨きなスパンで捉える「部=Abteilung」を、以下のように採用した。

「Ⅰ部」=Ⅰ楽章「葬送行進曲」・Ⅱ楽章 
「Ⅱ部」=Ⅲ楽章 スケルツォ 
「Ⅲ部」=Ⅳ楽章 アダージェット Ⅴ楽章 ロンド・フィナーレ

第1楽章(第Ⅰ部) 嬰ハ短調 2/2 三部形式

トランペットのソロ①に始まるこの楽章は、マーラー自身によって「葬送行進曲」と題されている。〈巨人〉の第3楽章、〈復活〉や〈3番〉の第1楽章よりも「厳格な歩調で」と指定されたぶん、柩を担いで教会に向う荘厳な葬列を連想させる。②のアウフタクトとして使われている付点リズムは、ベートーヴェンやショパンとの繋がりを指摘するまでもなく「葬送」のそれだ。それ以上に瓜二つなのが、メンデルスゾーンのピアノ曲集〈無言歌〉の中の1曲〈葬送〉 Op62-3。以前オーケストレーションし、〈復活〉のプレトークで演奏した際に、詳しく述べたとおりである。

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ベートーヴェン《レオノーレ》序曲第3番の楽曲解説

beethoven jm 120pxベートーヴェンは、唯一のオペラ〈フィデリオ〉のために、〈レオノーレ序曲〉とされる3曲と、全く別のプランによって最後に作曲された〈フィデリオ〉序曲の4曲を作曲した。その中で最も規模の大きなのが、この〈3番〉。物語全体を交響詩的に圧縮しているという点はゲーテの戯曲に付曲した〈エグモント〉の序曲と同じで「序奏部→アレグロ主部→快速のコーダ」という構成も共通だが、〈エグモント〉がへ短調→ヘ長調という、『運命型』の短調→長調という『暗→明』の図式によっているのに対し、レオノーレ〈3番〉は、ハ長調で一貫している。

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ワーグナー《トリスタンとイゾルデ》より

トリスタン伝説とワーグナー

tristan and isolde 120px 《トリスタンとイゾルデ》はケルト起源の伝説に基づいている。ローマ帝国の時代からスコットランド辺りで活動していたピクト人はケルト系ともされるが、実態は不明。このピクト人の年代記に登場するドゥルストという名前が、トリスタンという名前の原型と推測されている。ドゥルストとは嵐や喧騒を意味し、ドゥロスタンという名前にも変化している。この名前はウェールズに渡るとドリスタン、トリスタンとなり、フランス語の悲しみを意味する言葉「トリステス」と結びつき、物語性を想起させる名前となっていく。

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