オリジナルの交響曲第5番は?
指揮者として活躍していたマーラーは、指揮の仕事がオフシーズンとなる夏の間に別荘にこもり、そこで集中的に作曲をするというスタイルをとっていた。交響曲第5番も、そういったスタイルで手がけられている。1901年の夏に作曲を開始し、翌1902年の夏に完成。マーラーが親しい知人に語った内容からすると、1901年夏の段階ではこの時点では4楽章構成で、その第3楽章まで書き進められていた。ではなぜ、楽章が一つ増えたのか。それは、マーラーの人生において最も大きな出会いの結果だった。アルマである。マーラーは1901年11月、アルマ・シントラーという女性と出会い、そこからすぐに恋に落ちる。12月の末には婚約を発表、翌1902年3月にウィーンの教会で結婚式を挙げる。電撃婚だった。1901年の夏と1902年の夏の間に、マーラーの人生に決定的な転機が訪れているのだ。そして、この交響曲の第4楽章。この第4楽章は、マーラーと親しく交友を結んだ指揮者ウィレム・メンゲルベルクによると、この楽章はマーラーがアルマへの愛情を込めて作曲された音楽でプロポーズに相当するものだった、アルマはそれを受け入れてマーラーの元に来たのだ、と。メンゲルベルクはこれをマーラーとアルマの両方から聞いたらしく、そうなると信憑性は高い。