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ラヴェル (1875~1937) 管弦楽のための舞踏詩〈ラ・ヴァルス〉

ravel thumb英語なら〈ザ・ワルツ〉。このように曲種をそのものズバリで標題にした場合は、作曲年代に注意すべきだ。管弦楽版の初演は1920年12月12日、ラムルー管弦楽団、指揮シュヴィヤール。これが百年前だったら、J.シュトラウスI世とランナーのワルツ合戦に、フランスから “俺のが正真正銘のワルツ” と喧嘩を売っているみたいな自意識過剰なタイトルと受け取られたかも知れない。

 

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ブラームス (1833~1897) 交響曲第3番 ヘ長調 作品90

「異端の交響曲」

brahms-thumb-120x140ブラームスは生涯に4曲の交響曲を完成させた。その4曲の交響曲は、ブラームスの同時代から現在に至るまでオーケストラの主要レパートリーとして定着しているが、その中で3番目の交響曲は他の3曲と比べると、演奏頻度が若干低くなる傾向がある。(例えば、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ニューヨーク・フィル、それぞれある時期の100年近くの間の統計を見ると、4曲の中でいずれも3番が最も演奏回数か少ない。)終楽章はもちろんのこと、全ての楽章が弱音で瞑想的に終わる。演奏時間も他の3曲に比べても短めで、コンサートの最後を熱狂的に締めくくろうとする場合にはいささか不都合だと感じられるからであろう。

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ブリテン (l913~76) 歌劇〈ピーター・グライムズ〉より 《4つの海の間奏曲》

britten-thumb-120x12020世紀になると歌劇作曲家達は〈ヴォツェック〉、〈ムツェンス郡のマクベス夫人〉、〈イエヌーファ〉等のように、社会の不寛容や閉鎖性によって疎外され、その結果として破局に追いこまれてゆく主人公を描くようになった。〈ピーター・グライムズ〉も、そうした中に含まれる作品の一つである。

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R.シューマン (1810~1856) 交響曲第2番 ハ長調 作品61

シューマンのオーケストレーションをいかに料理するか

シューマンのオーケストレーションに問題があるというのは、昔から指摘されていたことだが、まずシューマン(1810年生~1856年没。今年は没後150年)の前後で交響曲や管弦楽曲で名が挙がる大作曲家を生年順に並べてみよう。

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プロコフィエフ(1891~1953) バレエ音楽《シンデレラ》から

「灰かぶり」の物語

cinderella-thumb《ロメオとジュリエット》の成功を受け、レニングラードのキーロフ劇場はプロコフィエフに新作バレエ《シンデレラ》の音楽を依頼する。この頃のプロコフィエフは再婚を果たし、またソビエト連邦の地に於いて安定した地位と名誉を獲得するなど、非常に充実した活動を送っていた時期であった。意欲を持って作曲に取りかかったプロコフィエフであったが、独ソ戦の勃発により作曲は中断。結果として1941年から1944年までの長丁場に渡っての作曲となった。バレエの初演は1945年。バレエも音楽も共に絶賛を浴び、現在でもプロコフィエフのこの音楽によるバレエは、バレエの重要なレパートリーの一つとなっている。

 

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グスタフ・マーラー(1860~1911)交響曲第10番 補筆5楽章版

mahler-1909時は1909年、交響曲第9番を完成させたマーラーは、少なくとも公的な場面においては、その人生において幾度目かの絶頂の時を迎えていた。1907年に心臓病との診断が下され、一時はひどく落ち込んだマーラーであったが、この頃にはこの病気と上手く付き合っていく術を見つけたようで、作曲・指揮の二つの活動に猛烈な取り組みを見せている。ニューヨーク・フィルとは数多くの演奏会を指揮し、作曲は西洋音楽の一つの到達点と言っても過言ではない交響曲第9番を完成させる。そして、マーラーはこの第9番に留まることなく、そのさらに先を行く交響曲第10番の構想を描き始めていた。また、この年の9月には累世の大作である交響曲第8番の初演を自らの指揮で行い、大成功を納めていた。マーラーのその灼熱のエネルギーは、まさに燦然と光り輝いていたのである。

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グスタフ・マーラー(1860~1911) 〈葬礼〉

mahler-thumb-120x140〈葬礼〉が完成した1888年まで時計の針を戻してみよう。28歳のマーラーは指揮者として順調に歩み始めてはいたが、作曲家としては暗中模索状態。20歳の時に作曲した〈嘆きの歌〉で「ベートーヴェン賞」に応募したものの落選。カンタータ+オペラ+交響曲の三要素を兼ね備えた野心作は、保守的な審査には正面から喧嘩を売っているようなものだった。その結果、まず指揮者として生計を立てながら、歌曲で作曲家としての道を模索することになる。後に〈若き日の歌〉として纏められることになる14曲の歌曲(1880~91年)や〈さすらう若人(Gesellen)の歌〉(1883~85年)は、そうした背景から生れた。

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エルガー (1857~1937) 交響曲第1番 変イ長調 作品55

作曲は1907~08年、50~51歳。その後1910~11年に〈2番〉を完成、未完の〈3番〉を残して1937年に亡くなっている。初演は08年12月3日、マンチェスターでハンス・リヒター指揮のハレ管弦楽団。空前の大成功だった。

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「みなさん、ワルツを!」 −ソビエト・ワルツ−

soviet-waltz-thumbソビエト連邦の最も偉大な作曲家を3人挙げろという設問があったならば、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリヤンという3人の名前を挙げるのが最も妥当なところであろう。この3人に共通する音楽的傾向は何か。例えば金管の咆吼や炸裂する打楽器。これは確かに3人に共通で、かつその音楽を決定的に刻印づけるものである。ではその3人が共に得意としたスタイルには何があるのかと聞かれたならば、どう答えればよいのか。

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チャイコフスキー(1840~1893) 交響曲第1番ト短調 op.13 《冬の日の幻想》

young-tchaikovsky「チャイコフスキーがブルックナーに似ている」と書くと疑問に思われる方が多いだろう。一つは、作品の多くが関係者の酷評や提言によって改訂されていることだ。ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲〈第1番〉、〈白鳥の湖〉等の代表的な名曲がそうで、チェロの〈ロココの主題による変奏曲〉のように、変奏曲の順番の入れ換えを含めたチェリストによる改訂版が完全に定着してしまっている曲もあるくらいだ。

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「千葉フィルらしさ」って?千葉フィルを演奏曲目から考える

thought-of-cpo-fig「今日の演奏会は千葉フィルらしかった」とか「今回の選曲はあまり千葉フィルらしくないよな」とか。普段このオーケストラで活動する中で、「千葉フィルらしい」という言葉を良く聞きます。私自身も頻繁に使いますし、千葉フィルの人でもそうでない人でも、それで意味するところは概ね通じているような気がします。

しかし、この「千葉フィルらしさ」って一体何なのでしょう?金子さんがこうと言ったわけでは無いですし、「千葉フィルらしさとは、こうだ!」と団で定めたわけでももちろんありません。

そこで、今回は過去の演奏曲目から、この「千葉フィルらしさ」とは何なのか?を考えてみることとしました。「千葉フィルらしさ」。このよく使われるくせに漠然とした言葉の正体は、一体如何なるものなのでしょう。

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