第72回演奏会 - 2025年1月4日(土) 13:30開演 会場:ティアラこうとう 大ホール・指揮:金子 建志
演目:ドヴォルザーク/スケルツォ・カプリチオーソ、コダーイ/「孔雀は飛んだ」による変奏曲、ブラームス/交響曲第2番

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ベルリオーズ (1803~1869) 《幻想交響曲》 作品14

恋にうなされて?

fantastique-thumb現在、ベルリオーズの作品の中で最も良く知られている《幻想交響曲》だが、それは彼の作品の中では最も初期の部類に入る。1830年の春頃の完成だが、この時はまだ26歳という若さであった。完成後、同年の12月にパリにおいて初演が行われ、ベルリオーズは一夜にして話題の人・時の人となる。それは言うまでもなく《幻想交響曲》のセンセーショナルな成功の故であった。多種多様な楽器による多彩な響き、作曲家自身によって付けられた標題とそれを解説したプログラム。ハイドンの交響曲に馴れ親しみ、ベートーヴェンの交響曲でさえ最新の音楽であったこの時代、《幻想交響曲》は極めてショッキングなものであった。

 

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リヒャルト・シュトラウス (1864~1949) 交響詩 〈死と変容〉

r-strauss-thumb〈死と変容〉という標題からは、晩年の作品と考えられがちだが、実は全く反対で、25歳(1889年)の時の作品である。表のように、一連の交響詩は初期に集中して書かれているため、シュトラウスの生涯は、1898年(34歳)以前の“交響詩の時代”と、それ以降の“歌劇の時代”の2つに、大きく分けることができる。ただし、それとても、表現主義的な作風が、その時点でがらりと変わったわけではなく、「音による表現に言葉が加えられただけ」と言えないこともない。

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ラフマニノフ (1873~1943) 交響曲第3番 作品44 

亡命者の音楽

rachmaninov-thumbロシア革命勃発後、レーニン率いるボルシェビキ政権を嫌って多数の文化人・芸術家がロシアから亡命したが、ラフマニノフもその中の一人であった。亡命後、ラフマニノフはアメリカ合衆国に居を構え、まず生活の糧を得るためにピアニストとして活動を展開する。ラフマニノフは優れたピアニストであり(その演奏は録音も多く残っていて、幸いにもラフマニノフの演奏様式がどんなものであったか後世の私たちは耳で確認することが出来る)、ラフマニノフのピアノ演奏は非常に高い人気を獲得したのだが、その反面、演奏家として多忙を極めたために作曲家としての活動は不十分なものとなってしまった。

 

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ラヴェル (1875~1937) 管弦楽のための舞踏詩〈ラ・ヴァルス〉

ravel thumb英語なら〈ザ・ワルツ〉。このように曲種をそのものズバリで標題にした場合は、作曲年代に注意すべきだ。管弦楽版の初演は1920年12月12日、ラムルー管弦楽団、指揮シュヴィヤール。これが百年前だったら、J.シュトラウスI世とランナーのワルツ合戦に、フランスから “俺のが正真正銘のワルツ” と喧嘩を売っているみたいな自意識過剰なタイトルと受け取られたかも知れない。

 

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グスタフ・マーラー(1860~1911) 〈葬礼〉

mahler-thumb-120x140〈葬礼〉が完成した1888年まで時計の針を戻してみよう。28歳のマーラーは指揮者として順調に歩み始めてはいたが、作曲家としては暗中模索状態。20歳の時に作曲した〈嘆きの歌〉で「ベートーヴェン賞」に応募したものの落選。カンタータ+オペラ+交響曲の三要素を兼ね備えた野心作は、保守的な審査には正面から喧嘩を売っているようなものだった。その結果、まず指揮者として生計を立てながら、歌曲で作曲家としての道を模索することになる。後に〈若き日の歌〉として纏められることになる14曲の歌曲(1880~91年)や〈さすらう若人(Gesellen)の歌〉(1883~85年)は、そうした背景から生れた。

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エルガー (1857~1937) 交響曲第1番 変イ長調 作品55

作曲は1907~08年、50~51歳。その後1910~11年に〈2番〉を完成、未完の〈3番〉を残して1937年に亡くなっている。初演は08年12月3日、マンチェスターでハンス・リヒター指揮のハレ管弦楽団。空前の大成功だった。

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「じゃあ、フーガが書きたいの?」

writing-a-fugueラフマニノフ交響曲第3番の中間部。ここでフーガ(曲の一部分でフーガの要素を使った音楽が展開されるので、正式にはフガート)が展開されるのだが、なぜここにラフマニノフはフーガを書いたのだろうか。無論、音楽的必然性だけがあって特に意味など無いのかもしれないが、ここで少々空想を働かせてみる。

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ファリャ (1876~1946) バレエ音楽〈三角帽子〉

el-sombrero-thumb全2幕からなるこのコメディ・バレエは、スペイン南部のアンダルシアを舞台としたアラルコン(1833~91)の同名の小説によっており、その原作は木下順二翻案の戯曲〈赤い陣羽織〉としても知られている。

通りすがりに、粉屋の女房を見染めた代官が、横恋慕を押し通そうとしたあげく、しっかり者の女房と粉屋に巧みにかわされて大恥をかくという反権力、勧善懲悪の痛快な物語は、ファリャの民俗色豊かな音楽と、華麗なオーケストレーションによって、耳だけでも充分に楽しめるものとなっており、演奏会形式でもしばしば取りあげられる。題名の〈三角帽子〉は、権威の象徴として代官が冠っている三つ角のある帽子のこと。

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ブラームス (1833~1897) 交響曲第3番 ヘ長調 作品90

「異端の交響曲」

brahms-thumb-120x140ブラームスは生涯に4曲の交響曲を完成させた。その4曲の交響曲は、ブラームスの同時代から現在に至るまでオーケストラの主要レパートリーとして定着しているが、その中で3番目の交響曲は他の3曲と比べると、演奏頻度が若干低くなる傾向がある。(例えば、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ニューヨーク・フィル、それぞれある時期の100年近くの間の統計を見ると、4曲の中でいずれも3番が最も演奏回数か少ない。)終楽章はもちろんのこと、全ての楽章が弱音で瞑想的に終わる。演奏時間も他の3曲に比べても短めで、コンサートの最後を熱狂的に締めくくろうとする場合にはいささか不都合だと感じられるからであろう。

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ブリテン (l913~76) 歌劇〈ピーター・グライムズ〉より 《4つの海の間奏曲》

britten-thumb-120x12020世紀になると歌劇作曲家達は〈ヴォツェック〉、〈ムツェンス郡のマクベス夫人〉、〈イエヌーファ〉等のように、社会の不寛容や閉鎖性によって疎外され、その結果として破局に追いこまれてゆく主人公を描くようになった。〈ピーター・グライムズ〉も、そうした中に含まれる作品の一つである。

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R.シューマン (1810~1856) 交響曲第2番 ハ長調 作品61

シューマンのオーケストレーションをいかに料理するか

シューマンのオーケストレーションに問題があるというのは、昔から指摘されていたことだが、まずシューマン(1810年生~1856年没。今年は没後150年)の前後で交響曲や管弦楽曲で名が挙がる大作曲家を生年順に並べてみよう。

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