ベックリンの《死の島》
ピアノ協奏曲第2番の大成功によって、交響曲第1番の初演の失敗を払拭したラフマニノフ。そして交響曲第2番の初演は喝采をもって迎えられた。幸せな家庭を築き私生活も充実して、作曲家としても円熟を迎えた頃、ラフマニノフは一枚の絵から着想を得て一編の交響詩を作曲する。それが交響詩《死の島》である。
ピアノ協奏曲第2番の大成功によって、交響曲第1番の初演の失敗を払拭したラフマニノフ。そして交響曲第2番の初演は喝采をもって迎えられた。幸せな家庭を築き私生活も充実して、作曲家としても円熟を迎えた頃、ラフマニノフは一枚の絵から着想を得て一編の交響詩を作曲する。それが交響詩《死の島》である。
ワーグナーがケーニヒスベルクの指揮者をつとめていた23歳の頃、E.B.リットン(英・1803~73年)の小説「コーラ・ディ・リエンツィ」(1835)に触発され、38年にリガで台本を完成。リガ→パリ→ドレスデンと遍歴する間にスコアを書き上げた。ラインガーの指揮によって42年10月20日ドレスデン宮廷歌劇場で行われた初演は、画期的な大成功となり、同劇場の楽長就任へと繋がった。その後〈さまよえるオランダ人〉〈タンホイザー〉で地盤を固めたかのように見えたが、1849年に勃発した革命の際、宮廷楽長の身でありながら革命側に加担したために、一転、政治犯として終われる身となり、スイスへと逃れることになる。
世紀が変わる少し前の1899年、パリの極めて裕福な家庭に生まれたフランシス・プーランクは、ピアノを達者に弾く母の影響を強く受け、幼い頃からピアノに親しむ。8歳の頃にドビュッシーの音楽を初めて耳にし直ぐにその虜になったが、小さな手ではドビュッシーのピアノ曲は満足に弾くことができず、幼いプーランクはとても悔しがったという。成長したプーランクは本格的にピアノを学びはじめるが、その頃から作曲も手がけるようになる。そしてまた、パリに集う若く才能溢れる音楽家達とも親しく付き合うようになり、前回の演奏会でその交響曲第三番を取り上げたオネゲルらと共に、〈六人組〉と呼ばれた若き才能溢れる音楽家グループの一人として名を広く知られるようになる。
これからは、余談になります。当時私(Hr科 石垣)は「ケンメリ」の6のスカイラインに乗っておりました。(この間「ケンメリ」の話をしたら「なにそれ」といわれてしまいましたが、 このホームページの読者ならわかりますよね?)
それでは、続きをはじめます。このページの更新遅れてごめんなさい。筆者のタイマンな性格のせいなんですね。でもこの性格(のんびりしてること。でも瞬発力のあること) っていうのはもしかすると千葉フィルの性格に似ているのかもしれません。
今を去ること13年前。時は1985年の丑年。場所は千葉県千葉市内にある某国立大学。 つまりは千葉大学、の管弦楽団でひそかに事は運んでいた。
以前は、それほど感じなかったのだが、ブルックナーに深入りした後で、改めてフランクを聴いてみたら、2人の共通点があまりにも多いのに改めて驚かされた。それを説明すると、この曲の解明が殆ど済んでしまうので、共通点を列挙してみよう。
リヒャルト・シュトラウスは1864年、バイエルン王国の首都ミュンヘンで生まれた。父親は名ホルン奏者。R.シュトラウスは早くから音楽の才能を発揮し、20歳を過ぎる頃には既に名指揮者として名を知られる存在となっていた。そしてまた、この頃から本格的な作曲も手がけるようになる。1888年、《ドン・ファン》完成。翌年の作曲家自身の指揮による初演は大成功であった。ここから、R.シュトラウスの快進撃が始まる。数々の交響詩は当時から今に至るまで、常にオーケストラのレパートリーであり続ける。
さて、金子先生とともに発足した千葉フィルですが、まず初めの活動は各校OBに千葉フィルへの 参加を呼びかける案内状の発送と夏の合宿の企画作りでした。
「自模!!!、四暗刻単騎!!!!!」「ドッヒャー!」「ガチョーン!!(ちょっと古いね)」 「ウッソー!!!」。千葉フィル創成期の金子先生のお宅での会話(!?)である。メンバーは先生、総務(団長)、 副総務、後のコンマスであった。
1884~85年(43~44歳)に作曲。85年4月22日、ドヴォルジャーク指揮によるロンドン・フィルハーモニー協会で初演。初演時から大成功で、その評判から同年中に当時最も名声の高かった大指揮者ハンス・リヒターがオーストリアで、ハンス・フォン・ビューローがドイツでの初演を指揮し、楽譜も同年中に大出版者のジムロックから出版された。つまりドヴォルジャークの交響曲作曲家としての評価を確定させた名曲ということになる。なお当時は〈2番〉として出版され、生前はその番号付けが定着していたが、1955年に、チェコで未出版の交響曲を加えた全交響曲の番号付けが見直された際、〈7番〉に確定し、現在に至っている。