第73回演奏会 - 2025年7月20日(日) 13:30開演 会場:市川市文化会館 大ホール・指揮:金子 建志
演目:ラヴェル/管弦楽のための舞踏詩「ラ・ヴァルス」、マーラー/交響曲第9番

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ヴィスコンティとマーラー

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この春、マーラーを主人公として描いた映画が公開された(『マーラー 君に捧げるアダージョ』 パーシー・アドロン&フェリックス・アドロン監督、2010年作品。)私は未見だが、見た人の評判を聞くと、概ね良い作品のようである。この映画の音楽は、マーラーの交響曲第10番の第1楽章が主に使われたようだが、映画に使われたマーラーの音楽といえば、まず真っ先に名前が出るのはこの作品であろう。『ベニスに死す』、ルキノ・ヴィスコンティ監督、1971年作品。退廃美、醜さと背中合せの美しさを圧倒的に描いたこの作品では、劇中音楽としてマーラーの交響曲第5番第4楽章が主に使われている。それはまさに、もう一つの主人公ともいえる程の強烈な印象を見る人に残すものだが、映画『ベニスに死す』では、他にもマーラーの音楽が使われている。5番4楽章の存在感(と使用頻度)に隠れがちだが、交響曲第3番の4楽章もまた、ヴィスコンティは、映画『ベニスに死す』に使っている。

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グスタフ・マーラー (1860~1911)交響曲第3番 ニ短調

mahler-3-thumbマーラーの交響曲は自然描写の宝庫。例えば鳥の囀りなら、殆どの作品で聴くことができるが、 この〈3番〉がその頂点に立つのは明らかだ。特に、前半の3楽章は、マーラー版の『アルプス交響曲』と言っても過言ではない。それは、以下のような成立事情が深く関わっている。

1891年からハンブルク市立歌劇場の指揮者を務めていたマーラーは、93年から歌劇場がシーズン・オフとなる夏の間を、アルプスの避暑地、アッター湖畔のシュタインバッハで過ごすようになる。旅館に部屋を借り、妹や女友達N.B.レヒナーに雑事を任せて作曲に専念する“夏休み作曲家、マーラー”の誕生だ。

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セルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953) 《スキタイ組曲》

プロコフィエフとストラヴィンスキー、そしてディアギレフ

skythian-thumbプロコフィエフは1891年生まれなので、1882年に生まれたストラヴィンスキーのだいたい一世代下にあたる。プロコフィエフは《春の祭典》 (1913)でストラヴィンスキーの前衛的な音楽がセンセーショナルな成功を収めたのを目の当たりにして、これだ!と思ったのだろうか、ストラヴィンスキーの破壊的・暴力的な面をさらに増幅させた音楽で売り込みを図る。誰に?《春の祭典》で、センセーショナルな音楽と踊りでパリを喧噪の渦に巻き込んだバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)。そのバレエ・リュスを率いるロシア貴族の男、セルゲイ・ディアギレフ。このディアギレフこそ、プロコフィエフが売り込みを図ったその相手であった。いや、ディアギレフは単なる窓口でしかなかったのかもしれない。プロコフィエフが本当に狙っていたのは、西側世界での成功だった。

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レナード・バーンスタイン(1918~1990)《管弦楽のためのディヴェルティメント》

千葉フィルの選曲事情と今回のプログラム

bernstein-div-imageアマオケの選曲は、基本的に、その楽団の事情に根ざしたものになる。例えば、打楽器は全てエキストラというようなオケがあると思えば、管打が中心で、弦は半数以上が賛助というオケも少なくない。千葉フィルの場合は創立時から中心的な存在の荒木君が優れた打楽器奏者であることもあって、パーカッションが強力。そのため、選曲会議では打楽器に対する配慮は必須となる。例えばモーツァルトやハイドンの交響曲だと、〈軍隊〉以外はティンパニだけだし、メンデルスゾーンの〈イタリア〉〈スコットランド〉あたりも同様の理由から外さざるを得ない。アンケートで古典派の名曲に対する要望があっても、あまりお応えできないのは、こうした事情が絡んでいる。

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もうひとつのマーラー解説 「マーラー記号論」

ヴァイオリンの対向配置

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モーツァルトがマンハイムを訪れた際に書いた手紙に、当時、最高のオーケストラだった同地の宮廷楽団の規模の大きさと充実ぶりを絶賛した文章が見られるのだが、その中に「第1ヴァイオリンが左(下手)、第2 Vn.が右」という配置に関しての記述がある。このヴァイオリンを指揮者の両翼に向かい合う形で置く対向配置は、その後も各地で、ほぼ基本的なフォーマットとして継承されてきた。

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チャイコフスキー(1840~1893) 交響曲第4番 ヘ短調 作品36

チャイコフスキーに於ける交響曲の位置づけとその変遷

チャイコフスキーの交響曲は〈4番〉以降の3曲の人気が高く、CD等でも〈4・5・6番〉を纏めて「3大交響曲」として売られていることが多い。これは演奏する側の事情と繋がっているわけで、〈3番〉より前の3曲を、〈4番〉以降と変わらないくらい積極的に振ろうという指揮者は激減してしまう。それに準じる多楽章形式の管弦楽曲として『組曲』を4曲残しているが、番外的な標題付き交響曲〈マンフレッド〉同様、その演奏頻度は更に少ない。唯一の例外は弦楽のための〈セレナード〉で、これは“弦楽合奏のための交響曲”といっても差し支えないほど充実した内容を備えているせいもあって人気が高く、《ワルツ》は単独でもBGM的に演奏されることが多い。

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アントン・ブルックナー (1824~1896) 交響曲第7番 ホ長調

師と仰いだワーグナーとの出逢いと死

bruckner-7-thumbブルックナーが構造面から交響曲の手本としたのが、ベートーヴェンの〈エロイカ〉と〈第9 〉。楽章と調性から見た場合、〈英雄=エロイカ〉は[第1楽章・変ホ長調-2.ハ短調-3.変ホ長調-4.変ホ長調]。これは同じ変ホ長調で書かれた〈4番・ロマンティック〉の原型となった。第2楽章が同主調の短調に暗転した《葬送風の曲》、第3楽章《スケルツォ》がホルン・セクションを主役とする《狩猟の音楽》という特徴も継承されている。

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ジョアキーノ・ロッシーニ(1792~1868) 歌劇《泥棒かささぎ》序曲

la-gazza-ladra-thumbロッシーニは、クラシック音楽の名だたる作曲家の中では、最も人生を謳歌した人かもしれません。1792年、ロッシーニは音楽家の両親のもとで生まれました。10代の終わり頃には作曲したオペラが上演されるようになり、20歳になる頃にはヒット作が誕生。その後はオペラを精力的に書き続け、その作品はイタリアのみならずウィーン、パリといったヨーロッパの一大音楽消費地でも喝采を浴びます。その人気は晩年のベートーヴェンが嫉妬し、若きワーグナーが目標としたぐらいのものでした。

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グスタフ・マーラー(1860~1911)交響曲第9番

失われたユートピアを求めて

20世紀を代表する哲学者・社会学者であるテオドール・アドルノは、また同時に、ベルクに師事して作曲を行うなど、音楽に対しての深い造詣を持っていた人物だった。そのアドルノが1960年に発表した著書『マーラー 音楽観想学』は、難解な内容にも関わらず、折からの「マーラー・ルネサンス」の中で大きな影響を持った書物となった。その中でアドルノはマーラーの音楽に対し、このように述べている箇所がある。

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ストラヴィンスキー(1882~1971)バレエ 〈火の鳥〉 全曲版(1910年版)

成立過程

firebird-thumb20世紀初頭の西欧音楽界で、時代を切り拓いていったのがディアギレフ率いるロシア・バレエ団。その中核となったのが、まだ無名だったストラヴィンスキーによる〈火の鳥〉〈ペトルーシュカ〉〈春の祭典〉。この3大バレエは、その質においても、破壊的なエネルギーと影響力の凄まじさにおいても、19世紀後半にワーグナーが〈トリスタンとイゾルデ〉で成し遂げたのに比肩すべき核爆弾的な役割を果たしたのであった。

 

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イッポリトフ=イワーノフ (1859~1935) 組曲《コーカサスの風景》 作品10

コーカサスという場所

コーカサスとはカスピ海と黒海とに挟まれた地域一帯のことを指す。コーカサスは英語読みであり、19世紀以降この地域を版図に納めたロシアの呼び名ではカフカースとなる。イッポリトフ=イワーノフはロシア人であり、それを考えると特に英語の呼び名を使う必要もないので、曲名も《カフカースの風景》とした方が良いのかもしれないが、この曲の原題はフランス語で表記されており、フランス語でのカフカースの表記は英語と同じく ’caucasus’ である。恐らく、この曲が《コーカサスの風景》と呼ばれるのもそれが関係しているのであろうか。今回は通例に従って曲名は《コーカサスの風景》とした。

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