マーラーは1897年(37歳)にウィーン宮廷歌劇場芸術監督に就任。01年11月には才媛アルマ・シントラーと知り合い、後に第5交響曲で使われることになる〈アダージェット〉を捧げて心を射止め、翌年3月に結婚。11月には長女が、04年には次女が誕生した。〈6番〉は、こうした幸福の絶頂期03~05年に作曲され、06年5月27日にエッセンでマーラー自身の指揮によって初演された。
マーラーは1897年(37歳)にウィーン宮廷歌劇場芸術監督に就任。01年11月には才媛アルマ・シントラーと知り合い、後に第5交響曲で使われることになる〈アダージェット〉を捧げて心を射止め、翌年3月に結婚。11月には長女が、04年には次女が誕生した。〈6番〉は、こうした幸福の絶頂期03~05年に作曲され、06年5月27日にエッセンでマーラー自身の指揮によって初演された。
弦と木管がユニゾンで奏する「聖餐の動機」①aで始まる。男性の修道僧が歌う聖歌を連想させる低い音域で荘厳に始まるこの①aが、トランペットやオーボエの高音域に上がって繰り返されると、高弦と木管が伴奏音型のように絡まっていく。この①b、ヴァイオリン+ヴィオラが4本の弦を上下する一般的なアルペジョなのに対し、木管は3連符と2連符が交替しながら進む不規則なリズム音型。ワーグナーは「神性=三位一体」を意味する「3」に、現世的な「2」「4」を絡めることで、キリストからアムフォルタス王に繋がる信仰が、現世において巻き込まれる世俗的な受難や、原罪的な嘆きを象徴し、音響的には、ステンドグラスから差し込む淡い光を思わせる神秘的な光彩を作り出した。この波のように揺れる響きは、印象派を先取りしており、ドビュッシーやラヴェルに影響を与えた。
19世紀後半に登場した巨人、ワーグナー。そのワーグナーの最後のオペラ《パルジファル》。ワーグナーは創作の中心をオペラにおいていた作曲家で、重厚長大なオペラを幾つも作曲していた。そのオペラ作曲家ワーグナーの最後のオペラである《パルジファル》は、その独特な世界観と相まってワーグナー音楽の神髄と言われることも多い。
犯罪者が常軌を逸した化け物に遭遇するというのは、映画でも、古くはヒッチコックの〈サイコ〉や、ホラー映画によくあるパターンだ。この物語も、3人のチンピラが女を囮に強盗を企む、という現実的な犯罪に始まるが、被害者のはずだった役人が、思いもかけない異常な怪物だと判ってくるに従って、攻守が逆転し、非現実的な世界に入りこんでゆく。
シベリウスは1865年生まれなので今年が生誕150年のアニバーサリー・イヤーにあたる。《エン・サガ》はシベリウス初期の作品にあたり、1892年に一旦作曲され、その後1902年に改訂された。普段演奏されるのはこの改訂稿であり、本日もこちらで演奏する。同じ交響詩でも、有名な《フィンランディア》(1899、1900)が美しいメロディと力強さに溢れ馴染みやすい音楽となっているのに対し、この《エン・サガ》は、茫漠とした幽玄の世界といった趣であり、途中盛り上がるところもあるが最後は静かに終わる。しかし、シベリウスの確固とした美意識・世界観が強く感じられる作品でもあり、この後に続くシベリウスの作品を予告しているようでもある。
西欧諸国から音楽と音楽家を輸入し、「お雇外国人」の手によって音楽文化を形成したロシア。いわば音楽の発展途上国だったロシアだが、そのロシアが音楽先進国の仲間入りをするためにどうしても必要だったもの、それはロシア人の手による本格的な交響曲だった。多くのロシア人作曲家がその課題にチャレンジしたが、19世紀後半に至って先駆者を遥かに超える高いレベルでその課題をクリアする作曲家が現れた。それがチャイコフスキーである。そのチャイコフスキー最後の交響曲が、本日お送りする交響曲第6番《悲愴》である。
映画監督ルキノ・ヴィスコンティの初期作品に『夏の嵐』という作品がある。マーラーに強く魅了されたヴィスコンティは『ベニスに死す』でマーラーの交響曲第5番の第4楽章を使用しマーラー普及に一役買うことになるのだが、『夏の嵐』ではブルックナーの交響曲第7番の第2楽章を使用している。イタリア名門貴族の家に生まれたヴィスコンティにとってオペラをはじめとするクラシック音楽は非常に身近なものであり、その作品にクラシック音楽が使われるというのは特に奇異なことではないのだが、ヴィスコンティの時代、マーラーもブルックナーも今ほど一般的に聞かれる存在ではなかった。ちょっと特殊な作曲家扱いだったのである。
この交響曲の中核をなす楽章で、[長大な序奏部+アレグロ主部+序奏部の再現+コーダ]のように見えるが、実際にはソナタ形式の原理、それも[第1主題=暗]と[第2主題=明]を対比させてドラマティックに展開していくベートーヴェンの〈運命〉に倣った構造になっている。
サガは、散文で書かれた歴史的な物語のこと。映画「スター・ウォーズ」の冒頭、メインタイトルの音楽をバックに宇宙空間に向かって流れていく文字列は、その典型だ。ワーグナーはウォータンを主神とする北欧神話「エッダ」と、ゲルマンの英雄ジ-クフリ-トを中心にした「ニーベルンゲンの歌」等、様々なサガを素材に4夜に及ぶ楽劇〈ニーベルンクの指輪〉を創作したのだが、シベリウスは他の多くの交響詩と違って、この曲の素材となった物語を明らかにはせず、ただ〈一つの伝説〉とした。
バルトークは無論、クラシック音楽史に名を残す大作曲家であるが、民俗音楽研究家という側面も持っている。そしてバルトークの場合は、この民俗音楽研究が作曲へとフィードバックされたところも大きい。バルトークの音楽は複雑なリズムとどこか奇怪な様相で知られているが、初期のバルトークはそうではなかった。習作にあたる《コッシュート》(1902)は、題材こそ祖国ハンガリーの英雄から取ったナショナリスティックなものだが、その音楽技法はR.シュトラウスばりの「ドイツ的」なものであった(音楽技法を国別に分類すること事態がある種イデオロギー的な視点の産物ではあるのだが)。
コンサート間近!!今日のゲストはトランペットパートから満を持して登場!!
NISHIKIORIサーーーーン!!ヾ(o´∀`o)ノ
コンサートまでもうすぐということで、錦織さんにはちょっとマニアックな質問もぶつけていきます!!