第1部─ヘ長調 2/2 ソナタ形式
第1主題として単一の動機だけを提示する典型が〈運命〉だとするなら、ニールセンが採ったのは、複数の動機を主題群として提示する正反対の方法。①②③の順に提示される第1主題群は何れも明朗で、力強さに溢れている。様々な生き物が、それぞれの個性を主張しながら自由活発に飛び跳ねているような主題群の在りかたこそは、自然界本来の姿であり、『何者も滅ぼし去ることのできない不可侵の理想郷』として、最初に示したということだろう。
演奏会プログラムの曲目解説からの抜粋です。
第1主題として単一の動機だけを提示する典型が〈運命〉だとするなら、ニールセンが採ったのは、複数の動機を主題群として提示する正反対の方法。①②③の順に提示される第1主題群は何れも明朗で、力強さに溢れている。様々な生き物が、それぞれの個性を主張しながら自由活発に飛び跳ねているような主題群の在りかたこそは、自然界本来の姿であり、『何者も滅ぼし去ることのできない不可侵の理想郷』として、最初に示したということだろう。
グリーグに続く北欧の大作曲家といえばフィンランドのシベリウスが名高いが、デンマークのカール・ニールセンもまた、シベリウスと同様に交響曲を中心に独自の音世界を追求した芸術家であった。この二人は共に1865年生まれ。ドイツ・オーストリア系とも、またフランスやロシアの作曲家の交響曲とも一味や二味も違った装いをみせる二人の交響曲。本日はそのうちニールセンの、最もよく知られた交響曲である《不滅》を取り上げる。ニールセンの生涯はあまりよく知られているとは言えないので、少しその辺りを述べてみることとする。
ロシア革命を避けロシア国外を転々としていたプロコフィエフだったが、1930年代半ばに帰国。これ以降、プロコフィエフはソヴィエト連邦の代表的な作曲家として活躍する。ロシア国外にいた時代から、プロコフィエフはバレエ・リュス(ロシアバレエ団)のディアギレフとの共同作業などによってバレエなどの舞台作品を手がけていたが、それらの経験がソ連帰還後に大きく生きる形となった。
ホ短調という調性は、ベートーヴェン等の独墺系先進国の交響曲には少ないが、チャイコフスキーの〈5番〉と、ドヴォルザークの〈新世界〉という先例があるので、スラヴ系交響曲の王道を選んだことになる。共に、循環主題で全4楽章を統一するというシンフォニックな構造にこだわったこの2曲が、〈運命〉のリズム主題と、〈幻想〉のイデー・フィクスを両親とする第一世代とすれば、この〈2番〉は第二世代。〈1番〉で辛酸を舐めたラフマニノフが、交響曲作家としての真価を問うべく、論理的構築性を徹底的に追究して仕上げた骨太の大作なのだが、ある時期からカットだらけの短縮版の演奏が当たり前みたいな状況が続いたせいもあって、映画音楽的なロマンティシズムのほうが全面に押し出されることになった。
モスクワ音楽院卒業後、モスクワを中心に活動していたラフマニノフだったが、ロシア帝国の首都でありモスクワと並ぶ音楽都市だったサンクト・ペテルブルクにも活動の場を広げることする。しかしそれは、ラフマニノフにとっては苦難の始まりとなった。
ラフマニノフは大いなる意欲を持って交響曲第1番を書き上げる。1897年3月15日、この意欲作はサンクト・ペテルブルクにて初演が行われた。指揮はグラズノフ。しかし、この初演は惨憺たる失敗に終わる。
この曲、スコアに掲載されたクラウセッティの怪奇趣味的な詩と、レスピーギが付けた音楽の間に大きな開きがあるので、そのあたりを念頭に、お読み頂きたい。
登場人物は全員が「地の精=グノムス=Gnomidi」で、主役は「若い2人の女の精」と「共通の夫である1人の男の精」。スコアは切れ目なく繋がっているが、ほぼ4部に分けられるので、それに従って詩と音楽の関係を分析してみる(詩は、大植=ミネソタ管盤の天露夫氏の訳詩を、適宜に編集させて頂いた)。