第73回演奏会 - 2025年7月20日(日) 13:30開演 会場:市川市文化会館 大ホール・指揮:金子 建志
演目:ラヴェル/管弦楽のための舞踏詩「ラ・ヴァルス」、マーラー/交響曲第9番

曲目解説

演奏会プログラムの曲目解説からの抜粋です。

チャイコフスキー(1840~1893) 交響曲第4番 ヘ短調 作品36

チャイコフスキーに於ける交響曲の位置づけとその変遷

チャイコフスキーの交響曲は〈4番〉以降の3曲の人気が高く、CD等でも〈4・5・6番〉を纏めて「3大交響曲」として売られていることが多い。これは演奏する側の事情と繋がっているわけで、〈3番〉より前の3曲を、〈4番〉以降と変わらないくらい積極的に振ろうという指揮者は激減してしまう。それに準じる多楽章形式の管弦楽曲として『組曲』を4曲残しているが、番外的な標題付き交響曲〈マンフレッド〉同様、その演奏頻度は更に少ない。唯一の例外は弦楽のための〈セレナード〉で、これは“弦楽合奏のための交響曲”といっても差し支えないほど充実した内容を備えているせいもあって人気が高く、《ワルツ》は単独でもBGM的に演奏されることが多い。

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イッポリトフ=イワーノフ (1859~1935) 組曲《コーカサスの風景》 作品10

コーカサスという場所

コーカサスとはカスピ海と黒海とに挟まれた地域一帯のことを指す。コーカサスは英語読みであり、19世紀以降この地域を版図に納めたロシアの呼び名ではカフカースとなる。イッポリトフ=イワーノフはロシア人であり、それを考えると特に英語の呼び名を使う必要もないので、曲名も《カフカースの風景》とした方が良いのかもしれないが、この曲の原題はフランス語で表記されており、フランス語でのカフカースの表記は英語と同じく ’caucasus’ である。恐らく、この曲が《コーカサスの風景》と呼ばれるのもそれが関係しているのであろうか。今回は通例に従って曲名は《コーカサスの風景》とした。

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ショスタコーヴィチ(1906~1975) ロシアとキルギスの民謡の主題による序曲 作品115

安定した地位

ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ、57歳の時の作品。1963年作曲。ショスタコーヴィチは1975年に死去するので、既に晩年に入りかけた頃の作品であるといえる。その作曲家としてのキャリアにおいて、幾度と無く政治からの圧力を受け続け何度も苦汁を飲んだショスタコーヴィチであったが、この頃になると社会も一応の安定を見せたこともあり、西側にまで名声が届く大作曲家としての地位が確立し、生活もやっと平穏なものとなった。

 

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ベートーヴェン (1770~1827) 交響曲第5番 ハ短調 〈運命〉 作品67

〈運命〉という俗称と、それが与えた影響

ベートーヴェン自身が標題をつけた交響曲は第3番〈エロイカ=英雄〉と第6番〈田園〉の2曲。〈運命〉というのは、ベートーヴェンが冒頭部①について「運命は、こう扉を叩く」と語った、と弟子のシンドラーが伝えたことに由来する俗称なのだが、これに関して、欧米と日本では扱いが正反対なことは良く知られている。一番はっきりしているのがCD等のジャケットで、邦盤では〈運命〉という表記が既定事実化しているのに対し、外盤で「Schicksal(独)」や「Fate(英)」とクレジットされている例は皆無に近い。但し、解説には使われているし、実際、ロマン派以降の作曲家達は「運命」という意味を含めて、この曲の冒頭主題を様々な形で引用しているのである。

 

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ベルリオーズ (1803~1869) 《幻想交響曲》 作品14

恋にうなされて?

fantastique-thumb現在、ベルリオーズの作品の中で最も良く知られている《幻想交響曲》だが、それは彼の作品の中では最も初期の部類に入る。1830年の春頃の完成だが、この時はまだ26歳という若さであった。完成後、同年の12月にパリにおいて初演が行われ、ベルリオーズは一夜にして話題の人・時の人となる。それは言うまでもなく《幻想交響曲》のセンセーショナルな成功の故であった。多種多様な楽器による多彩な響き、作曲家自身によって付けられた標題とそれを解説したプログラム。ハイドンの交響曲に馴れ親しみ、ベートーヴェンの交響曲でさえ最新の音楽であったこの時代、《幻想交響曲》は極めてショッキングなものであった。

 

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リヒャルト・シュトラウス (1864~1949) 交響詩 〈死と変容〉

r-strauss-thumb〈死と変容〉という標題からは、晩年の作品と考えられがちだが、実は全く反対で、25歳(1889年)の時の作品である。表のように、一連の交響詩は初期に集中して書かれているため、シュトラウスの生涯は、1898年(34歳)以前の“交響詩の時代”と、それ以降の“歌劇の時代”の2つに、大きく分けることができる。ただし、それとても、表現主義的な作風が、その時点でがらりと変わったわけではなく、「音による表現に言葉が加えられただけ」と言えないこともない。

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