第73回演奏会 - 2025年7月20日(日) 13:30開演 会場:市川市文化会館 大ホール・指揮:金子 建志
演目:ラヴェル/管弦楽のための舞踏詩「ラ・ヴァルス」、マーラー/交響曲第9番

曲目解説

演奏会プログラムの曲目解説からの抜粋です。

グスタフ・マーラー (1860~1911)交響曲第3番 ニ短調

mahler-3-thumbマーラーの交響曲は自然描写の宝庫。例えば鳥の囀りなら、殆どの作品で聴くことができるが、 この〈3番〉がその頂点に立つのは明らかだ。特に、前半の3楽章は、マーラー版の『アルプス交響曲』と言っても過言ではない。それは、以下のような成立事情が深く関わっている。

1891年からハンブルク市立歌劇場の指揮者を務めていたマーラーは、93年から歌劇場がシーズン・オフとなる夏の間を、アルプスの避暑地、アッター湖畔のシュタインバッハで過ごすようになる。旅館に部屋を借り、妹や女友達N.B.レヒナーに雑事を任せて作曲に専念する“夏休み作曲家、マーラー”の誕生だ。

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アントン・ブルックナー (1824~1896) 交響曲第7番 ホ長調

師と仰いだワーグナーとの出逢いと死

bruckner-7-thumbブルックナーが構造面から交響曲の手本としたのが、ベートーヴェンの〈エロイカ〉と〈第9 〉。楽章と調性から見た場合、〈英雄=エロイカ〉は[第1楽章・変ホ長調-2.ハ短調-3.変ホ長調-4.変ホ長調]。これは同じ変ホ長調で書かれた〈4番・ロマンティック〉の原型となった。第2楽章が同主調の短調に暗転した《葬送風の曲》、第3楽章《スケルツォ》がホルン・セクションを主役とする《狩猟の音楽》という特徴も継承されている。

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セルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953) 《スキタイ組曲》

プロコフィエフとストラヴィンスキー、そしてディアギレフ

skythian-thumbプロコフィエフは1891年生まれなので、1882年に生まれたストラヴィンスキーのだいたい一世代下にあたる。プロコフィエフは《春の祭典》 (1913)でストラヴィンスキーの前衛的な音楽がセンセーショナルな成功を収めたのを目の当たりにして、これだ!と思ったのだろうか、ストラヴィンスキーの破壊的・暴力的な面をさらに増幅させた音楽で売り込みを図る。誰に?《春の祭典》で、センセーショナルな音楽と踊りでパリを喧噪の渦に巻き込んだバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)。そのバレエ・リュスを率いるロシア貴族の男、セルゲイ・ディアギレフ。このディアギレフこそ、プロコフィエフが売り込みを図ったその相手であった。いや、ディアギレフは単なる窓口でしかなかったのかもしれない。プロコフィエフが本当に狙っていたのは、西側世界での成功だった。

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ジョアキーノ・ロッシーニ(1792~1868) 歌劇《泥棒かささぎ》序曲

la-gazza-ladra-thumbロッシーニは、クラシック音楽の名だたる作曲家の中では、最も人生を謳歌した人かもしれません。1792年、ロッシーニは音楽家の両親のもとで生まれました。10代の終わり頃には作曲したオペラが上演されるようになり、20歳になる頃にはヒット作が誕生。その後はオペラを精力的に書き続け、その作品はイタリアのみならずウィーン、パリといったヨーロッパの一大音楽消費地でも喝采を浴びます。その人気は晩年のベートーヴェンが嫉妬し、若きワーグナーが目標としたぐらいのものでした。

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レナード・バーンスタイン(1918~1990)《管弦楽のためのディヴェルティメント》

千葉フィルの選曲事情と今回のプログラム

bernstein-div-imageアマオケの選曲は、基本的に、その楽団の事情に根ざしたものになる。例えば、打楽器は全てエキストラというようなオケがあると思えば、管打が中心で、弦は半数以上が賛助というオケも少なくない。千葉フィルの場合は創立時から中心的な存在の荒木君が優れた打楽器奏者であることもあって、パーカッションが強力。そのため、選曲会議では打楽器に対する配慮は必須となる。例えばモーツァルトやハイドンの交響曲だと、〈軍隊〉以外はティンパニだけだし、メンデルスゾーンの〈イタリア〉〈スコットランド〉あたりも同様の理由から外さざるを得ない。アンケートで古典派の名曲に対する要望があっても、あまりお応えできないのは、こうした事情が絡んでいる。

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グスタフ・マーラー(1860~1911)交響曲第9番

失われたユートピアを求めて

20世紀を代表する哲学者・社会学者であるテオドール・アドルノは、また同時に、ベルクに師事して作曲を行うなど、音楽に対しての深い造詣を持っていた人物だった。そのアドルノが1960年に発表した著書『マーラー 音楽観想学』は、難解な内容にも関わらず、折からの「マーラー・ルネサンス」の中で大きな影響を持った書物となった。その中でアドルノはマーラーの音楽に対し、このように述べている箇所がある。

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