曲目解説

演奏会プログラムの曲目解説からの抜粋です。

チャイコフスキー(1840~1893) 交響曲第1番ト短調 op.13 《冬の日の幻想》

young-tchaikovsky「チャイコフスキーがブルックナーに似ている」と書くと疑問に思われる方が多いだろう。一つは、作品の多くが関係者の酷評や提言によって改訂されていることだ。ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲〈第1番〉、〈白鳥の湖〉等の代表的な名曲がそうで、チェロの〈ロココの主題による変奏曲〉のように、変奏曲の順番の入れ換えを含めたチェリストによる改訂版が完全に定着してしまっている曲もあるくらいだ。

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グスタフ・マーラー(1860~1911)交響曲第10番 補筆5楽章版

mahler-1909時は1909年、交響曲第9番を完成させたマーラーは、少なくとも公的な場面においては、その人生において幾度目かの絶頂の時を迎えていた。1907年に心臓病との診断が下され、一時はひどく落ち込んだマーラーであったが、この頃にはこの病気と上手く付き合っていく術を見つけたようで、作曲・指揮の二つの活動に猛烈な取り組みを見せている。ニューヨーク・フィルとは数多くの演奏会を指揮し、作曲は西洋音楽の一つの到達点と言っても過言ではない交響曲第9番を完成させる。そして、マーラーはこの第9番に留まることなく、そのさらに先を行く交響曲第10番の構想を描き始めていた。また、この年の9月には累世の大作である交響曲第8番の初演を自らの指揮で行い、大成功を納めていた。マーラーのその灼熱のエネルギーは、まさに燦然と光り輝いていたのである。

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ディアギレフとロシア・バレエ団 (上)

diaghilev 1 120x14820世紀文化史に燦然と輝くディアギレフとロシア・バレエ団。この両者については既に様々な場に於いて語り尽くされている感があるが、今回と次回の千葉フィルのプログラムにロシア・バレエ団にゆかりの深い曲が取り上げられることもあって、これを機会に私もその末席に加わってみようかと思う。

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ディアギレフとロシア・バレエ団 (下)

diaghilev 2 120x148ロシア・バレエ団はパリに於いてその名の通り、ロシア的なものを売りとした。西ヨーロッパにとって、ロシアは半分はヨーロッパに属しながらも、もう半分はアジアに属したものであり、異国情緒を感じさせるに十分なものであった。時は20世紀の初頭、あらゆるものを商品にして消費し尽くす資本主義が最初のピークを迎えた頃のこと。そして場所はパリ、人と物が頻繁に行き交うシステムが完成し最新のモードを次々に産み出す享楽の都、であった。

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ブラームスの「交響曲第5番」?

schoenberg 1948ナチス政権の成立によってドイツを追われることとなったシェーンベルクは、パリを経てアメリカに亡命する。その地でシェーンベルクはオーケストラ作品への編曲を幾つか手がけるが、その一曲にブラームスが若かりし頃に書いたピアノ四重奏曲もあった。シェーンベルクは出来上がったこの編曲に大変満足し、聴衆からも高い評価も獲得する。中には「ブラームスの交響曲第5番」というものまであった。しかし、実際のこの曲はブラームスが決して自らの交響曲に使わなかった楽器や特殊奏法のオンパレードであり、そして何より、ジプシー音楽的な情熱をそのまま表現した音楽それ自体、ブラームスが決して交響曲の題材に選ばなかったものである。そのことを考えると、この編曲をブラームスの交響曲第5番と呼ぶことは、やはりあまり適当なこととは言えない。しかし、一つ視点を変えてみると、また違った様相が見えてくる時がある。

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ブラームス ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 シェーンベルク編曲版

dbp-brahms〈未完成〉との間を繋ぐ鍵としての『ハンガリー・ジプシーの音楽』

1828年に31歳で早世したシューベルトと、5年後の1833年に生れたブラームス。その接点が、1880年代にブライトコプフ社が刊行したシューベルト全集で、ブラームスが交響曲の巻の編纂を担当したことにあるのは拙著『交響曲の名曲・1』で述べたとおりだ。しかし1822年前後に作曲されたまま眠り続け1865年に初演された〈未完成〉と、それより前の1861年に完成・初演されたブラームスの〈ピアノ四重奏曲・第1番〉との関係をひもとくのは一筋縄ではいかない。鍵は『ハンガリー・ジプシーの音楽』にある。

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