20世紀になると歌劇作曲家達は〈ヴォツェック〉、〈ムツェンス郡のマクベス夫人〉、〈イエヌーファ〉等のように、社会の不寛容や閉鎖性によって疎外され、その結果として破局に追いこまれてゆく主人公を描くようになった。〈ピーター・グライムズ〉も、そうした中に含まれる作品の一つである。
演奏会プログラムの曲目解説からの抜粋です。
20世紀になると歌劇作曲家達は〈ヴォツェック〉、〈ムツェンス郡のマクベス夫人〉、〈イエヌーファ〉等のように、社会の不寛容や閉鎖性によって疎外され、その結果として破局に追いこまれてゆく主人公を描くようになった。〈ピーター・グライムズ〉も、そうした中に含まれる作品の一つである。
作曲は1907~08年、50~51歳。その後1910~11年に〈2番〉を完成、未完の〈3番〉を残して1937年に亡くなっている。初演は08年12月3日、マンチェスターでハンス・リヒター指揮のハレ管弦楽団。空前の大成功だった。
シューマンのオーケストレーションに問題があるというのは、昔から指摘されていたことだが、まずシューマン(1810年生~1856年没。今年は没後150年)の前後で交響曲や管弦楽曲で名が挙がる大作曲家を生年順に並べてみよう。
ソビエト連邦の最も偉大な作曲家を3人挙げろという設問があったならば、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリヤンという3人の名前を挙げるのが最も妥当なところであろう。この3人に共通する音楽的傾向は何か。例えば金管の咆吼や炸裂する打楽器。これは確かに3人に共通で、かつその音楽を決定的に刻印づけるものである。ではその3人が共に得意としたスタイルには何があるのかと聞かれたならば、どう答えればよいのか。
《ロメオとジュリエット》の成功を受け、レニングラードのキーロフ劇場はプロコフィエフに新作バレエ《シンデレラ》の音楽を依頼する。この頃のプロコフィエフは再婚を果たし、またソビエト連邦の地に於いて安定した地位と名誉を獲得するなど、非常に充実した活動を送っていた時期であった。意欲を持って作曲に取りかかったプロコフィエフであったが、独ソ戦の勃発により作曲は中断。結果として1941年から1944年までの長丁場に渡っての作曲となった。バレエの初演は1945年。バレエも音楽も共に絶賛を浴び、現在でもプロコフィエフのこの音楽によるバレエは、バレエの重要なレパートリーの一つとなっている。
「チャイコフスキーがブルックナーに似ている」と書くと疑問に思われる方が多いだろう。一つは、作品の多くが関係者の酷評や提言によって改訂されていることだ。ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲〈第1番〉、〈白鳥の湖〉等の代表的な名曲がそうで、チェロの〈ロココの主題による変奏曲〉のように、変奏曲の順番の入れ換えを含めたチェリストによる改訂版が完全に定着してしまっている曲もあるくらいだ。