チェコ音楽における民族性とは?
19世紀後半のボヘミア地方において、チェコ人としての民族意識をいちはやく取り入れて作曲活動をしたのがベドジルハ・スメタナ(1824~1884)。当時のボヘミア地方はオーストリアのハプスブルク家に支配されており、チェコ語も公用語としての地位を与えられていなかった時代である。《我が祖国》(1874~1879)はスメタナの民族意識が最も高い次元で結実した傑作であるが、スメタナの創作の中心は交響詩と歌劇であった。この時代、交響詩はリストが創始したばかりの極めて新しいジャンルであり、文学的な標題を持つために音楽以外の意味付けが比較的容易であった。それに比べると、基本的に純音楽としてあった交響曲というジャンルに、音楽以外の何かを込めることは非常に難しい。ドヴォルザークは1841年生まれ、スメタナよりも一世代後の作曲家であったが、ドヴォルザークが創作の中心に選んだのは交響曲であった。