曲目解説

演奏会プログラムの曲目解説からの抜粋です。

バーンスタイン (1918~1990) 〈キャンディード〉序曲

1959年8月、モスクワ

bernstein 1955 120pxバーンスタインはモスクワにいた。当時、常任指揮者を務めていたニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の世界ツアーでソビエト連邦を訪れた為である。この時のニューヨーク・フィルのソ連滞在は3週間、全18回にもおよび演奏会が企画されていた。当時、アメリカ合衆国とソビエト連邦はまさに冷戦の真っただ中にあり、芸術と言えども、当然、そういった政治の動向と無縁ではいられなかった。このニューヨーク・フィルのツアーも平和友好をうたった文化使節だったにも関わらず、両国の国威発揚の場として使われていた。

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ブラームス 交響曲第4番の楽曲解説

Ⅰ楽章─ホ短調 2/2 ソナタ形式

流れるように滑らかな第1主題 ①a が、3度音程の音列 ①b をオクターヴ上下させることで作られているのは良く知られており、ブラームスが理論派の大家だったことの象徴とされる。

brahms 4 fig1

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ラフマニノフ 交響曲第1番の楽曲解説

rachmaninov 1899 120pxこの交響曲の辿ることになった不幸な運命については、どんな伝記にも必ず書かれている。完成2年後の1897年(24歳)にペテルブルグで行なわれた初演は、重鎮グラズノフの指揮で行なわれたのにも関わらず大失敗。酷評の嵐は若きラフマニノフを作曲不能のノイローゼに陥らせ、精神科医の治療を受けて回復。ピアノ協奏曲の第2番の作曲で立ち直ったというのだ。

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ブラームス (1833~1897) 交響曲第4番 ホ短調 作品98

「進歩主義者ブラームス」

brahms 120pxブラームスの音楽は、ブラームスの存命当時から今に至るまで、概ね保守的な音楽だと思われている。特に後世の作曲家は、「新しいこと」が作品の大きな判断基準になることが多い現状も相まって、ブラームスのことをよく言う人はあまりいない印象がある。その数少ない例外が、アーノルト・シェーンベルクである。12音音楽の創始者であるシェーンベルクは20世紀音楽の祖と言える人の一人だが、そのシェーンベルクはブラームスのことを「進歩主義者」として賞賛しているのだ。

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解説: ダーリの催眠療法

dahl 120pxラフマニノフが1895年に交響曲第1番を完成させ、2年後の1897年にグラズノフの指揮により初演されたものの散々な酷評をうけ、その失敗により神経衰弱になり自信喪失し、作曲ができない状態なったエピソードはよく知られている。作曲家としての復活に医師ニコライ・ダーリ(1860-1939)が寄与したということになっている。その治療の詳細と評価について私見をまじえて紹介してみたい。

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ラフマニノフ (1873~1943) 交響曲第1番 ニ短調 作品13

モスクワ音楽院の若き天才

rachmaninov 1892 120pxセルゲイ・ラフマニノフは1873年にロシアの貴族の家に生まれた。ラフマニノフの曾祖父や祖父は音楽に造詣が深く、特に祖父アルカーディは見事なピアノの腕前を持っていたという。ロシアにピアノがもたらされたのは19世紀に入ってからのことだが、アルカーディ・ラフマニノフはロシアで最初にピアノ演奏をものにした世代の一人、ということになる。この祖父ほどではなかったが、父親もピアノを演奏した。しかしこの父親、典型的な貴族の御坊ちゃまというべきか、気前良く施しを与えたり投機に失敗したりで、貴族ラフマニノフ家の莫大な財産はこの父親の代であっという間に底をついてしまった。

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